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円山寺・本文

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円山寺

 デジタルカメラ、携帯電話、Tシャツとタオル、大判の時刻表、そしてB5のノートをいれたショルダバッグを肩にかけて、その日も朝早くに家を出た。
 佐田真は、土曜、日曜となると、小さな旅に出る。乗り物はバイクだったり、車だったり、時には電車だったりする。日程は日帰りのことも、一泊のこともある。

 B5ノートのメモから
 五月二十一日(土)
 0651:横浜駅発・東海道線
 0734:日暮里駅着
 0752:日暮里発・常磐線普通電車
  ・二階建車両、ガラガラ、タイトル「二階建鈍行列車殺人事件」・・つまらない
 0959:水戸駅着
 1018:水戸駅発・鹿島臨海鉄道鹿島神宮行
  ・先頭車両に乗車、この流れる景色がいい
 1047:鹿島旭駅着
・いっしょに降りた中学生が迎えの車と自転車で行ってしまうと誰もいない
 12時頃:旭村役場
・婚姻届に来たカップルに「休みでもやっているんですか」と話かけられる。
 1321:鹿島旭駅発
 1342:大洋駅着
 14時頃:大洋村役場
  ・ログハウスと田舎暮らしの看板が目につく
 1451:大洋駅発、新鉾田駅下車、徒歩で鉾田駅へ
 1526:鉾田駅発・鹿島鉄道
  ・田植えの終わった水田、きらきら輝く霞ヶ浦の水面、筑波山
 1608:常陸小川駅着
 16時半頃:玉里村役場
・ 駅長が言うように何もない
 1721:常陸小川駅発
 1736:石岡駅着
 1827:石岡発・常磐線
 1958:日暮里駅着

 佐田は、十時前に帰宅すると、今日の小旅行の記事を書こうと、デジカメ、B5のノートをバッグから取り出し、パソコンを立ち上げた。しかし、眠くて筆が進まず、いや、キーボードがちゃんと打てないことに気付くと記事の投稿をあきらめた。それでもメールのチェックだけは済ませておこうと受信箱を開くと、珍しい女からのメールが来ている。高校の同級性の円百合からのもので、メールにはこう書かれていた。
「ご無沙汰でーす。お元気そうですね。今日はどうして無視したの?三時過ぎにコスモワールドの観覧車のところで声をかけたのに。いっしょにいた可愛い女の子は、お孫さん?それとも娘さん?仲良く腕をくんでいた若い女の人は誰?お返事待ってまーす」
 直ぐに返信する必要はない。高校の時の円百合の性癖を思い出すとなにやら嫌な胸騒ぎを覚えたが、それ以上考えることもなく眠りこんでしまった。翌日の昼過ぎに、電話のベルの音で目を覚ました。受話器をとると円百合からだ。
「メール見た?昨日いっしょにいたのは誰、奥さんに話してもいい?奥さんには黙っていてあげるから、今度、逢いましょう」
 と挨拶の言葉なくまくしたてる。佐田は、眠い目をこすりながら、
「いったいどうしたの?人違いじゃないの?僕は、昨日の三時過ぎは鹿島鉄道に乗っていたよ」
 と答えると、
「ごまかしてもダメよ」
佐田には脅されている様に聞こえたが、
「僕には、ちゃんとアリバイがあるよ。これから、昨日のことをブログに書き込むから、それを見てくれるかな」
 と言うと、円百合は黙り込んでしまった。
「おい、どうかした?」
 との佐田の問いかけにようやく、
「また電話するから、覚悟してて」
 と言うと電話を切ってしまった。

 その年の九月、三日間の有給休暇をとって連続九日間の休みを確保して、北海道半周のツーリングに出かけた。
 二泊目の九月十九日、帯広・十勝ガーデンズホテルで、六時過ぎに目を覚ました佐田は、ドアーの下の隙間から放り込まれていた北海道新聞の記事に目を留めた。見出しは「フェリーから二人不明」、本文は「九月十八日十七時二十分に苫小牧東港に到着した新潟発の新日本海フェリー「あざれあ丸」に、一台の乗用車が残された。持ち主は、ナンバーから同フェリーに乗船していた思われる横浜市都築区に住む主婦山中純で、乗船名簿には、山中純の他に同乗者として円百合の名前があった。苫小牧署は、事件・事故の両面から捜査を開始、折り返し運航されたフェリーには、捜査員と鑑識が乗り込み、捜査にあったっている」というものである。
佐田にとっては、自分が乗船してきたフェリーでの出来事であること以上に、同じ船に高校の同級生の円百合と山中純が乗り合わせていたことと、その二人が行方不明になったということが驚きであった。そして円百合という名前に接するのが、不可解な電話をもらった五月以来であることを思いだしていた。

 十月のはじめ、都幾川警部は一つの書類に目を通していた。その書類は、北海道警・苫小牧警察署からの山中純と円百合に関する調査依頼に対する回答書である。この二人は、新潟・苫小牧間のフェリーから行方不明となっていた。報告書で、山中純の家族は、北海道へ高校時代の友達と旅行に行くと車で出かけ、特に気になるようなことはなかったという。一方、円百合は、八月二十日頃から行方が分からなくなっていて捜索願いが出されているという報告である。
 都幾川は、書類を鶴居刑事に見せて、
「事件か事故か、他殺か自殺か、難しい事件だな」
と話し掛けたものの、これは苫小牧署の事件ということで、これ以上気にすることは無く、再び、円百合の名前に出会うとは思ってもみなかったのである。

 年が明けた一月の終わりに、年に一度の妻との旅行で、佐田は、沖縄・恩納村のニッコーマリーナホテルに滞在していた。夜の八時頃になると夕食後の泊り客が、三々五々、ホール中央のステージ周辺に集まり、沖縄民謡の賑やかなリズムと悲しい旋律に旅の余韻を重ね合わせていた。その演奏の最中、耳を劈く声が九階までが吹きぬけとなったホールに響きわったった。ホテルの支配人とボーイが、声がした九階の右側に駆け上がると、
「こっち、こっち」
 と震えが止まらず、ただただ立ちすくむ女が指差す部屋に入っていった二人は、風呂場で頭から血を流し、仰向けに倒れている中年の女を見つけた。
「すぐに救急車と警察だ」
 と支配人が叫ぶと、五,六人の他の従業員も集まってきた。
 数分で恩納警察署の警官が来て、女がすでに死亡しているのを確認すると、なれない様子で現場保全のロープを張り、支配人に対しては、泊り客と従業員にホテルの外に出ていかない様に要請した。三十分程で、那覇警察署捜査一課の刑事数人と鑑識係りが到着した。
 名前を吉田明子、年齢を三十三と名乗った女は、死んだのは、住所が横浜市都筑区で、今は苫小牧に住む山中純五十一才で、自分と苫小牧でクラブを共同経営していると話した。明子の話では、寒い北海道から、暖かい沖縄に来て一昨日からこのホテルに滞在していたという。
 警察は、現場の状況と明子の話から、夕食の後、明子がみやげ物店に立ち寄っている間に、部屋に先に戻った純が風呂に入り、足を滑らせて頭を洗面台の角にぶつけ、出血多量で死亡した事故と判断していたが、捜査の決まりに従い、山中純の遺体は司法解剖に回された。そして、夜九時を過ぎていたが、泊まり客と従業員に対する聴取が任意で行われた。
 佐田が宿泊していた部屋にも二人の刑事が訪れ、山中純の写真を見せながら、顔見知りかどうか、また、女の叫び声が聞こえた時に何をしていたかを聞かれた。佐田は、山中純という名前を言われ、写真(明子と写っている生前の写真)を見せられると動揺していることが自分ながらに分かったが、
「知りません、その時は妻と二人、中央ステージで沖縄民謡を聞いていました」
と答えた。
佐田は、妻にも死んだ女が高校の同級生であることは言わなかった。昨年の五月にあった円百合からの不可解な脅しの電話、苫小牧到着前のフェリーから忽然と姿を消した円百合と山中純のこと、そのうちの一人、山中純が、今日また沖縄の同じホテルに宿泊していて死んだこと、自身の回りで何か得体の知れないことが起きているのではと、佐田は考えざるを得なくなっていった。

 沖縄から帰った佐田の元に、クラス会の幹事から山中純の訃報がFAXで届いていた。都筑区の寺で営まれた通夜では、行方不明になってから四ヶ月、突然の死の知らせに家族、親戚は呆然とし、弔問客への挨拶もままならぬ様子であった。久しぶりに顔を合わせる友人たちもただ黙々としているだけであった。佐田は、親族席の隅に、沖縄のホテルで刑事から写真を見せられた吉田明子の顔が目に入り、通夜の読経が終わるのを待った。
「実は、純が倒れたとき、同じホテルに泊まっていました」
と率直に言うと、
「そうですか、今はまだ気持ちの整理ができなくて」
と言って、山中純と共同経営していたクラブの名詞を渡すと寺の暗闇に消えていった。
佐田は、つぎの日に営まれた葬儀、告別式にも参列したが、このときには吉田明子の顔を見ることはなく、親友であった円百合の顔を見ることもなかった。
佐田は、それから暫くは会社の仕事に忙殺されていたが、そんな中で何か小骨が喉にささっている感じは日に日に大きくなっていった。二月の中旬の金曜日に、残り少ない有給休暇を取って苫小牧に行くことにした。羽田発九時、JAL1011便で新千歳空港に向う。空港駅からは、エアポート快速を南千歳で乗換え、苫小牧行きに乗ると、正午前には苫小牧駅に着くことができた。車窓の曇ったガラスから見える景色は、初秋に見たものとはうって変わり、積雪は少ないものの地吹雪が吹き抜け荒涼としていた。金曜日に出かけたのは、山中純と共同経営していたクラブに吉田明子に会いにいくためである。
佐田は、駅前のホッキ丼のポスターが貼られた店で名物のホッキ丼を食べた後、歩いて十分位のところにある苫小牧警察署に向かった。受付で事情を話すと東という刑事が応対に出てきてくれ、所内の応接椅子に案内された。
「こちらは、寒いでしょう。去年の九月にフェリーから行方不明となった山中純について何か聞きたいと言うことですが」
 と、もう還暦を越えているかと思われる、人のよさそうな東刑事が聞いてきた。山中純と円百合とは高校の同級生であること、後で知ったのだが二人が行方不明となったフェリーに乗っていたこと、山中純がこの苫小牧にいてクラブを経営、その山中純が沖縄で事故死したことを話すと、東刑事は一瞬目を光らせたが、すぐに優しい表情に戻った。
「フェリーの行方不明の件は、進展がなにもないんです」
 とすまなそうに言う。新潟のフェリー会社には、山中純と円百合そして山中純所有のクラウンマジェスタのナンバーを記入した乗船名簿が残っていて、それぞれの名前を印刷した乗船券の発行控えも残っていたこと、フェリーへ乗船するときは、係り員が同乗者を含めて乗船券の提示を求め確認すること、そして山中純に似たお客を船室に案内したと乗務員が覚えていたことから、二人が乗船したことは間違いないと断定した。一方、苫小牧で下車する時は、車を格納している車両用甲板への降り口で一人一人から乗船券の半券を回収、また徒歩で下船する乗客からも出口で一人一人から回収するということから、苫小牧で下船していないことも間違いないと思われたと丁寧に説明してくれた。さらに、神奈川県警への照会では、円百合は八月から行方不明、山中純は友達と旅行に行くと言って家を出たということも教えてくれた。
「こんな田舎でも、いろいろ事件があって、そのままになってしまっているんです、二人のうち一人が苫小牧にいたなんて不覚でした」
 と半分笑いながら話した。東刑事は、この三月で定年退職し、その後は地元の警備会社への再就職が決まっているという。やり残した事件がいくつかあるのだろう、半笑いはその無念さの表れと思われた。
 佐田は、丁寧にお礼を述べてから警察を後にし、山中純が四ヶ月を過した苫小牧の町を見て回ろうと歩き始めたが、寒くて直ぐに喫茶店に入ってしまった。網走に流氷が接岸したというテレビのニュースを見ながら、フェリーの件を考えた
 新潟で乗船し、苫小牧で下船していない二人が何故船のなかにいないのか。入口と出口が管理された船からどうやって消えることができるのか。そして、二人のうち一人は三週間前までは生きていたのである。あのビルにすると五階以上ある船から海に飛び込んで助かるとは思えない。

 佐田は、九時過ぎにクラブ「純」の扉の前に立った。「会員制」のプレートがある。扉が向こう側から開けられると黒服のボーイが出てきて、ここは会員と会員同伴の店になっていると告げた。本当の会員制らしい。山中純の知り合いで、吉田明子さんにお会いしたいと言うと、しばらく待たされて店内に招き入れられた。店内は結構混んでいて、テーブルからテーブルへ夜の蝶が飛び交っている。そんなテーブルの一つから、一段と華やかな光に包まれた女が現れ、
「ここのチーママをしている明子です、どうかよろしく」
 と言う。
「えっ」
 と思わず驚きの声をあげてしまった。佐田には、あの通夜の時に見た明子とは別人の様に見えた。こんなに華麗な女がいるのか、こんなに花のある女がいるのか、こんなに光輝く女がいるのか、一つの言葉では言い表せない美しさである。店が立て込んでいるので、しばらく待って欲しいと言われ、奥のソファーに案内された。二人の若い女が両隣に座り、水割りを作り始めた。
 明子が席に来たのは十一時過ぎ、閉店後に場所を変えて話をすることになった。帰り仕度をした明子が間もなく来て二人は外に出た。
「今日のお泊りは何処」
「東横イン苫小牧ですが」
 明子のマンションがホテルの直ぐ側ということで、
「では、私のところでお話をしましょう。何もしないから」
 とタクシーを十分程走らせると、明子のマンションの前で停車、通りの斜め前には先ほどチェックインしておいた「東横イン苫小牧」があった。
 三十畳以上ありそうなリビングに佐田を案内すると、
「ああ、疲れた、そのへんからお酒でも勝手に出して飲んでいてくれる」
 というと扉の向こうに消えた。少しして、バスローブ姿で明子が戻ってきたが、化粧を落とした素顔には、お店の顔とは違う、ちょっとさびしげな表情があった。
「あなたもシャワー浴びてくる、その間にお酒の支度しておくから」
 と言うと、佐田の手をとってシャワルームに無理やりつれていった。佐田は、シャワーを使うだけならと自分に言い聞かせ、広いシャワルームで冷えた体を温める。用意されたバスローブは使わず、着てきた服を着直して戻ると、ホッキ貝とほうれん草のソテーとグラスが二つ用意されている。
「まずは乾杯ね」
 とグラスを合わせる。
「で、山中純さんのことだけど」
 と佐田が言いかけると、
「その話は、あ・と・で」
 とソファーの隣にしなやかな体を寄せてくる。
「じゃ、もう遅いので、明日時間はありますか、今日はこれで」
「女に恥をかかせるの」
「いゃ・・・」
 会話はそこで途切れ、佐田を甘い吐息が包みこんでいった・・・

 ハンドルを握りながら、明子が話し始めた。
「この車、ママから貰ったの」
 明子は山中純のことをママと呼ぶ。十年程前に、山中純がママをしていた銀座のクラブ「純子」にホステスとして入店した時から、純は明子を可愛がってくれたという。苫小牧から上京、女子大を出て商事会社の社長秘書をしていた明子は、社長と同伴したクラブ「純子」で強引に純に口説かれて、この世界に入ったという。華やかに光輝く明子はすぐに「純子」のナンバーワンに、純はますます明子を可愛がってくれ、姉妹店のクラブ「ノア」のママとしてお店を任されるまでになっていった。
 三年程前、苫小牧で一人暮らしをしていた母真美子が癌で入院、看病のため苫小牧に戻らざるをえなくなると、純は残念がったが母親の看病が大切と許してくれ、その後も、純はいろいろと面倒を見てくれていて、明子もことにつけてはいろいろと相談にのってもらっていた。
 昨年九月初めに純から電話が入って、こんなやりとりがあったと言う。
「明ちゃん、車欲しいって言っていたよね。車買い換えるんだけど、今使っている車使う」
「うん、ちょうど買おうと思っていたとこで、欲しいけど高い」
「まだ、一年とちょっとしか乗っていないし、高いわよ」
「じゃ無理かな」
「嘘よ、あげるわよ。その代わり東京まで取りに来てくれる」
「いいわ、久しぶりに東京見物もしたいし、六本木ヒルズにも行って見たいから。お店のお友達と行くけど、いい」
 この後、九月十日過ぎに友達の佐藤里香と上京し、三年ぶりに純と会うと
「お願いがあるんだけど」
「なんでも言って」
「ちょっと理由があって行方不明になりたいの。明ちゃんが良かったら苫小牧でお店やらない」
「どうすればいいの」
 九月十七日の十二時に二台のマジェスタで、常磐道、磐越道を通って新潟に向かう。新車の方は、純が運転、明子が助手席に、もう一台を友達の里香が運転した。新潟のフェリー乗り場では、純が乗船名簿を記入、乗船券を購入してきて、車一台分と佐藤里香の乗船券を手渡し、明子の分はいっしょにしておくと純がバックにいれた。十一時過ぎに乗船すると特等室に案内された、一つを純が、もう一つを明子と里香が使うことになった。翌朝、秋田港に停泊すると、
「ママの相手をしてくるわ。苫小牧に着いたら車のところで待っていて」
 と荷物をまとめて里香と別れ、純の部屋に向かった。直ぐに、二人は、部屋に鍵をかけて車両用甲板へ降りていき、古いクラウンマジェスタに乗り込み身を隠した。
 車の中では結構な時間を過ごした。
 苫小牧に着き、ぞろぞろ降りてくる人の中に里香の姿を見つけると、二人は、今来た風を装った。新車の具合が悪いのでこのまま送り返して、系列の新潟の販売店に引き取りに来てもらうことにしたと話し、三人はそのまま古いほうの車で下船、苫小牧市内に向かい、純とはJR苫小牧駅前で別れたという。
 話続けた明子は、ため息をついた。
「ママの行方不明には協力したけど、なんで身を隠さなければならないのか教えてくれなかった。そして行方不明になったもう一人は私ではなく円百合という人だった」
と昨夜をちょっと見せた寂しげな眼差しを白い有珠山の麓に投げかけた。

 三寒四温とはよく表現された言葉で、一雨毎に暖かくなっていく季節を実感していた二月の終わりに、佐田の元へ、苫小牧署の東刑事から分厚い手紙が届いた。

 春の便りが南の方から聞かれる頃となりました。苫小牧では、まだまだ厳しい寒さが続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。私は四十年以上勤務してきました警察を後一ヶ月足らずで退職することになりました。目を閉じますと、いろいろな事件の思い出と事件に関係したいろいろな人の顔が走馬灯の様に頭の中を巡ります。そんな中で、二月中旬においでいただいた件が頭にひっかかっていて、苫小牧の方で調べることはないかと思い関係された方に会って話しを聞いてまいりました。これはと言うことは何もないのですが、フェリーから行方不明となった円百合と山中純の同級生ということで、お二人のことを気に掛けていらっしゃる貴殿に何かの役にたつことがあるかと思いお知らせしたいと思った次第です。
 沖縄で事故死した山中純ですが、苫小牧に来て四ヶ月、苫小牧で一番の高級マンションを借り、苫小牧で一番の高級クラブ「純」を、吉田明子といっしょに経営していたこと以外新しいことは何も出てきませんでした。お店の客の中にも特に親しい人がいたようなことはなく、従業員の中にも明子を除いて親しくしていた人はいなかった様です。
 貴殿から聞いていた佐藤里香に会って話しを聞く事ができました。佐藤里香は、明子の苫小牧での高校時代の仲良しで三年前に明子が東京から戻ってから再び親しくしているということです。フェリーから山中純が行方不明になったというニュースは気づかなかったということですし、フェリーが秋田港から出港して苫小牧に着くまで二人に会わなかったことも、二人でいろいろと話しがあるのだろう位に思って、特に不審に思わなかったと言っていました。
 フェリーから円百合の代役として山中純と消え、沖縄で山中純が事故死した時いっしょにいた吉田明子にも会うことが出来ました。だいたいは貴殿から聞いていたとおりの話しでした。車を引き取りに佐藤里香といっしょに東京に行き、理由は教えて貰えなかったけれど、山中純とフェリーから行方不明になり、沖縄に純と遊びに行って、純が事故死したことを順序正しく話してくれました。
 そして、フェリーから行方不明になる時には、自分が円百合の代役であることは知らずに、ニュースで初めて知ったということの様で、この事については、山中純に何か事情があるのだろうということで、特に聞かなかったと言っていました。
 明子には、亡くなった父義男のお兄さんで、帯広で農場を経営するおじさんの吉田正男さんという方がおられました。おじいさんが新潟の新発田から北海道に入植し、現在は、大きな牧場を経営しているそうです。ただ、これまでも余りお付き合いもなかったということで、北海道には他に知り合いもなく、母親の三回忌を済ませたら、また東京に行くつもりにしているそうです。
 昨年九月のフェリー行方不明事件は、吉田明子も騙された山中純の自作自演と私自身は確信しましたが、裏づけ捜査も全く出来ていない状況では報告書をまとめることも出来ず、捜査を引き継ぐことにしました。心残りですが、自分の力不足とあきらめるしかありません。
 これからは、新たな職場で頑張っていくつもりです。苫小牧にいて何かお役に立つことがありましたら、いつでもご遠慮なくご連絡下さい。また、北海道にツーリングで来られた時は是非お会いしたく思っております。
お元気で
                          苫小牧 東 和夫

 佐田の元へ、吉田明子から電話があったのは三月に入ってからである。
「お元気」
と華やかな声が携帯電話の向こうから聞こえてきた。
 明子は今、新潟の新発田に来ていて、二年前に亡くなった母、吉田真美子の三回忌の法事を済ませたところだそうである。吉田家の菩提寺は、新発田の円山寺で、先祖代々の墓がある。そこには又、母、真美子の実家である高村家の墓もあり、祖父母や母の妹が納骨されていて、久しぶりに高村の墓参りも出来たと話した。佐田はこの時、何でそんな身内のことまで言うのかとちょっと気になった。
「ちょっとお願いがあるの」
 と今度は甘えた声が佐田の耳をくすぐる。
 明子は、二、三日後に東京に出て来るという。しばらくはホテル住まいだが、そのうちマンションを借りたりするので相談にのって欲しいという。三年前までは、山中純が経営する銀座のクラブ「純子」のナンバーワンとして、そして姉妹店クラブ「ノア」のママとして華々しく活躍して来ても、三年間のブランクは動きの早いこの世界では大きく、ゼロから出発となるようである。
「また電話しますので、よろしくお願いします」
と今度はさらっと言うと電話が切れた。

 春まだ浅い三月下旬、甲武信岳のふもとの南斜面は雪が解け、ふきのとうが生い出、優しい暖かい日差しを浴びている一方、北の斜面にはまだ雪が残り、葉を落としたぶなの木のねもとはまだ数十センチの吹き溜まりとなっていた。
 甲武信岳は、甲州(山梨)、武州(埼玉)、信州(長野)の三国にまたがることから、この名前がつけられている。春を待ち焦がれていた中高年の登山グループの一人が、山梨側の登山道の入り口からちょっと入ったところで声をあげた。
「あの木の下のところ」
と指差す先には、吹き溜まりの雪から人の足の様なものが出ていた。登山グループのリーダが警察に連絡、間もなく、駐在さんと塩山署の捜査員が到着した。立ち入り禁止のテープが張られ、現場の場所関係、遺棄された死体の状況、遺留品の捜索などを一通り行うと担架に乗せられてブルーシートをかぶせられた死体が運び出された。第一発見者となった登山グループは名前と住所を聞かれた後すぐに現場を離れ登山道を歩き始めた。
 甲州市(平成十七年十一月十一日に塩山市、勝沼町、大和村が合併して誕生)の旧塩山市にある塩山署に、「甲武信岳殺人事件捜査本部」の看板が掲げられたのは、司法解剖が終わり、他殺と断定された後で、死体発見から三日を経過していた。
 死体は半ば白骨化し、野犬に襲われて損傷が激しく、司法解剖に時間を要したが、首吊り自殺による骨折では見られない、他人に首を締められたことによる頚部骨折が見られたことから、絞殺による窒息死と断定された。死亡時期は約半年前で、昨年の八月下旬から十月上旬の二ヶ月弱と推定された。身元は、遺留品と歯形照合で横浜市栄区の円百合、五十一才と判明、昨年八月二十日頃から行方不明になっていて、家族から捜索願が出されていた。塩山署は、被害者が横浜在住であったことから神奈川県警に応援を求め、神奈川県警の都機川警部と鶴居刑事が捜査本部に応援に出向くことになった。
 横浜から塩山へ向かう車のなかで、
「事件の被害者の円百合、どこかで聞いたか、見た名前なんだが」
と都機川が言うと、鶴居が直ぐに応えた。
「私も気になっていたんですが、思い出しました。警部より若いですから」
「無駄口はいいから」
「確か去年の秋頃、苫小牧署からの照会の中に出てきた名前です」
と鶴居は言うとハンドルを握り直して車を加速させた。

十一

 捜査は、被害者の足取り調査と交遊関係の調査を中心に進められた。都機川は塩山署の横山刑事と組んで足取り調査を、鶴居は塩山署のベテランの武井刑事といっしょに交遊関係を洗うことになった。
 まず、都機川は苫小牧署に電話をいれ、円百合のフェリーからの行方不明事件について聞くことにした。電話で応対してくれたのは苫小牧署の伊藤という刑事で、事件の概要をつぎの様に話してくれた上で、資料をFAXしてくれた。
 昨年九月十八日十七時二十分に苫小牧東港に到着した新潟発の「新日本海フェリー・あざれあ丸」に、一台のクラウンマジェスタが残されていて、持ち主の山中純と同乗の円百合が行方不明となった。捜査を担当した苫小牧署は、折り返し運航されたフェリーに、捜査員と鑑識を乗り込ませ、二人が宿泊していた特等室の捜索、乗務員からの聞き込み、下船時に回収する乗船券の調査などを実施した。その後も、新潟のフェリー会社に残っていた乗船者名簿の調査や二人が住んでいた神奈川県警への照会を行うなど捜査をしてきたが、二人が行方不明となったのが、事故なのか事件なのかの結論は出ていないという。そして、一人捜査を続けていた東という刑事が、この三月に定年退職すると、伊藤刑事がこの件を一応は引き継いだ形になっているという。
 簡単な経過報告と以前に都機川が見た神奈川県警作成の照会に対する回答書がFAXされてきた。一つ明らかになったのは、司法解剖では昨年の八月下旬から十月上旬とされていた死亡時期が、九月十七日以降十月上旬と絞られたことである。
 足取り調査は八月二十日に家を出てから、九月十七日か十八日に行方不明になるまでの期間に対して進められたが、八月二十日に誰かに会うと言って家を出てから直ぐに途切れてしまい進展がなかった。
 一方、身辺調査ではいろいろなことが出てきた。
 まず、円百合はNPO法人日本婦人教育協会の理事長という顔があった。
 鶴居刑事のレクチャーによれば、NPOとは、特定非営利活動法人のこと、活動範囲によって内閣府または都道府県の認可を受け、利益を追求しないで活動する組織である。事業報告書、貸借対照表、収支計算書等の作成が義務付けられ、役員として理事、監事が置かれ、利益を出さない他は、一般の企業と変わりない。ボランティ団体が法人取得をするケースが多いが、例えば、教育関係のNPO法人では受講料はとるし、職員には賃金を払うし、理事なども報酬を受取るところがボランティアとの違いである。
 円百合が理事長をしていたNPO法人日本婦人教育協会を訪ねた鶴居、武井のふたりは、職員の一人から話を聞くことが出来た。協会では、既婚の女性向けに子育て終了後の社会復帰を促進するための様々なカリキュラムを用意し、横浜にある教室には数百人近い人が通っているという。さらに理事長の円百合について、
「亡くなった方の悪口になるのですが」
 とつぎの様なことを言った。円理事長は協会ではワンマン、年収にして数千万円の役員報酬を受け取っていた。また、昨年の春頃からは協会の経理に不正があるのではとのうわさも流れていた矢先に理事長が失踪した。すると、それまで不仲であった副理事長が実権を握っているという。副理事長からも話を聞きたいと面会を求めると、今は、婦人学習に関しての海外視察中で二,三週間の内には戻って来るということで、帰ってきたら連絡しもらうように頼んだ。
 円百合はまた、消費者金融会社の非常勤役員をしていた。結婚して一人女の子がいたが子供を連れて離婚、父親が経営する建設会社で経理の仕事をしていたが、十数年前に父親が亡くなると、その遺産を元手に消費者金融会社をはじめた。「優しく貸して、厳しく取り立て」という社是のもと会社は急成長、上場を果たすと一線からは退いていたという。こう話してくれたのは、円百合の一人娘と結婚し、消費者金融会社の専務をしている円勇一である。会社からの帰り道、鶴居と武井は話した。
「「優しく貸して、厳しく取り立て」か、怖いですね」
「この時期に相当恨みをかっているかも知れません、容疑者がいっぱいでてきそだな」
 仕事の関係以外でも、あちらこちらに顔を突っ込んでいたが、いずれも評判は良くなかった様である。例えば、ママさんバレーの区の部長をしていた時には、区の他のチームが皆抜けてしまったことがあったという。町内会のお祭りでも、「あーせい、こーせい」と詰所に陣取っている姿が見られたという。

十二

 円百合と交遊がある人は、仕事の関係を除くとほとんどいなかった。フェリーからいっしょに行方不明になった山中純とも、それほど親しくしていた訳ではないようであったが、山中純はどうしているのか?横浜の都築区にある山中純の家を訪ねて見ることにした。応対に出てくれたのは、山中純の娘であった。
「母は亡くなりました」
と静かに話す。この一月末に沖縄のリゾートホテルの浴室で足を滑らせて頭を強打し、脳挫傷ということで事故死したという。昨年の九月十七日以降は北海道の苫小牧で、今回いっしょに沖縄に来ていた吉田明子という女性と高級クラブを経営していた。何故、身を隠していたのかは分からないという。
捜査会議では、都機川と横山が被害者の足取り調査の状況を話したが全く進展がなかった。鶴居と武井は身辺と交遊関係の調査の状況を説明、これから、
一、NPO法人日本婦人教育協会の副理事長から話しを聞くこと
ニ、消費者金融の一線にいた時のトラブルについて恨みを持つ者がいないか
三、高校時代の円百合、山中純との関係
について引き続き調査が必要であると報告した。
 交遊関係の話を聞きながら都機川は考えていた。
「フェリーから行方不明となっている二人の内の一人山中純は苫小牧にいた。山中純が円百合を殺害した犯人であれば、二人して行方不明をなったことも分からないではない、どういう方法でフェリーから行方不明になることが出来たのか?何でそんなに手のこんだことをしたのか?動機はなんだったのか?そして・・・」
 都機川は捜査課長から苫小牧への出張の許可を貰うと、横山と新潟へ向かった。

十三

 二人は、赤色灯をつけ、サイレンを鳴らして関越道を飛ばし、夜の十時過ぎに新潟の山の下埠頭にあるフェリー乗り場に到着した。さっそく、乗船名簿に名前、住所や車のナンバー等を記入、予約番号を告げて乗船券を購入した。乗船券は二枚、都機川の乗船券には車のナンバーなども印刷されている。十一時になると敦賀から到着していた「あざれあ丸」へ乗船が始まった。ゲートの入り口で乗船券を係員に見せると、乗船券の番号と車のナンバー等を確認、車両用甲板に係員により誘導された。中型の旅行バッグを一つ持って階上に上がると、船内ロビーへの細い廊下の入り口付近では犬の鳴き声がする。最近のペットブームで犬や猫を連れて旅行する人も多いらしく、ここのペット専用船室であずかる仕組みになっている様だ。ロビー入り口でそれぞれ乗船券を見せて中に入り、受付カウンターでニ等寝台のベッドを割当ててもらう。乗務員に話を聞いたり、船内を調べるのは出港してからにしようとロビーに座って待つことにした。
十一時半に出港、ロビーには団体客やグループ客がガヤガヤとやっていたが、船内の灯りが落され、「お静かに」というアナウンスが流れると閑散としてきた。都機川は受付カウンタで、身分を告げ船長に会いたいと言うと、間もなく白いダブルのスーツを着込んだ船長が現れた。半年前の行方不明事件の捜査をしていることを言い協力を要請すると、ちょうどあの事件の時も自分が乗船していたと快く引き受けてくれ、同じ日に勤務していた乗務員の一人を呼んでくれた。先ず、寝静まりかけた船内を案内してもらった。部屋は、スイートルーム、特等、一等、二等寝台、二等とある。都機川たちがとったのは下から二番目で、一人一人に二段ベッドが割当てられる、一番下の二等は畳敷きの大部屋に雑魚寝となる。山中純と円百合が泊まった特等室を見せてもらうと、ビジネスホテルのツインと同じ感じで、それほど広くはない。付き合ってくれた乗務員は、船長から言われているらしく、今日は空き室があるのでここの部屋をお使い下さいというので甘えることにした。
鍵がかかり、ロープが張ってある扉をあけて貰いデッキに出ると、そこには日本海の真っ暗な闇が広がっているだけであった。
「この扉はいつも鍵がかかっているのですか」
 と聞くこと、
「夜間はいつも施錠しています。また、昼間も風の強い日は施錠しています」
「あの事件の時はどうでしたか?覚えていますか」
「確か秋田港を出たころから、雨が降り出し風も強かったので、閉めていたと思います」
「めったにない機会だから、甘えます」
 と言って二人は特等室に入った。
 二人は、今日の動きの中に行方不明事件のヒントがないか整理しておこうとしたが、疲れとエンジンの振動の心地よさからか直ぐに寝入ってしまった。目を覚ましたのは、船のエンジン音が変わって秋田港に入港しようとしている時である。部屋で洗面を済ませロビーに行くと、秋田で下船する人が車両用甲板への出口に二、三十人と、歩いて下船するための出口に十人位が並んでいる。入港すると間もなく、それぞれの出口では乗船券の半券を係員がもぎ取ると乗客はそれぞれの出口から消えていった。
 下船が終わると、今度は秋田からの乗船であるがしばらく時間があるようだ。その間に何人かが、車両用甲板への出口の廊下を行き来している。昨日乗船する時のアナウンスでは到着まで車両用甲板へは行けないと言っていたが。都機川は昨日の乗務員を捕まえ、
「今、車のところへ行けるんですか」
 と聞くと、
「停泊している間は行き来できます。いろいろと荷物を取りに行きたい人もいるようで」
 と教えてくれた。
「フェリーから行方不明になるのは、簡単だったな」
 と都機川が言うと、横山も頷いた。

十四

 苫小牧署に着くと、前に電話に出てくれた伊藤刑事が待っていて、
「電話で話したこと以上は何もないのですが」
 とすまなそうに言い、明日、この三月に署を退職した東さんに会えるように手はずしてあるとのことであった。二人は、伊藤刑事が予約をしてくれていた東横イン苫小牧にチェックイン、ホテル近くの店で名物のホッキ貝をさかなに少しお酒をいれて、明日以降の作戦を相談した。
 つぎの日の午前十一時、苫小牧署の応接室で元刑事の東さんに、伊藤刑事もいっしょに会うことが出来た。東さんは退職してまだ一週間ちょっとというのに物珍しそうにあたりを見回している。やはり、四十年近く通ったところは離れ難いのだろう。
「確証も、裏付けもないので報告書に出来ませんでしたが、辞める前に少し調べて新しいことが分かりましたので」
 と控えめに話始めた。
 それまで放って置いたのを退職間際に捜査したのは、山中純と円百合の高校の同級生という男が訪ねてきたことがキッカケで、その男は、昨年九月に山中純と円百合が行方不明となった同じフェリーに乗り合わせ、今年の一月末に山中純が沖縄で事故死した時同じホテルに泊まっていたという。都機川は、その男の名前、住所、電話番号を控えさせてもらった。
 フェリーからの行方不明の経緯は都機川たちが考えた通りで、秋田港に停泊中に車の中に身を潜め、別の車で下船したという簡単なものであった。ただ、行方不明になったのは、円百合ではなく、山中純が経営する銀座のクラブの元ホステス吉田明子が円百合の身代わりとなり、明子の友達の佐藤里香という女が別の車を運転したという。身代わりの件は、吉田明子と佐藤里香は何も知らず、山中純が一人で仕組んだことのようであった。
 吉田明子は、この行方不明事件のことの他に、山中純が沖縄のホテルで事故死した時いっしょに旅行をしていて、ちょっと気になったので調べたが何も出てこなかったという。本人は東京に出てしまっているらしく、知り合いは、おじさんの吉田正男さんという方が帯広にいる位だという。
 昼食を済ませ、東さんと伊藤刑事にお礼を述べると、その足で佐藤里香に会いに行った。クラブのホステスをしている里香は眠そうな目をして出てきたが、それでも丁寧に部屋に招き入れるとコヒーを焙れてすすめてくれた。行方不明の件は、東元刑事の話の通り何も知らなかったようである。ついでに、友達だという吉田明子はどんな人か聞いて見ると、
「高校の時からの付き合いだけど、お母さんが亡くなる前と後で人が変わってしまったの。すごく快活で明るい子だったのに、最近はいつも寂しげな眼差しを宙にむけているの」
 最初は母親を亡くしたことが原因かとも思っていたが良くわからないという。
 まだ時間があると帯広に車を飛ばした。助手席の都機川は一つの事件解決のキーを選びだしていた。甲武信岳で白骨死体で発見された円百合の死亡時期は、当初司法解剖の結果から、八月下旬から十月上旬の二ヶ月とされたが、九月十七日から十八日にかけてフェリーから行方不明になっていることが判明、死亡時期は、九月十七日以降十月上旬と訂正された。しかし、今回フェリーからの行方不明になったのが円百合ではないのなら、死亡時期はまた当初の八月下旬からに修正しなければならない。
 二時間位で、大農場を営む吉田正男さんのところに着いた。視界にはいるところがすべて牧草地という位広いところである。がっちりした体躯で白いものが混ざったひげ面の男が迎えてくれた。
「最近は、あまり付き合いはなかったんだけど、明子が小さい頃はよく遊びにきたよ」
 とにこにこしながら話してくれた。明るくて元気な子だったんだが、母親を亡くした頃からか何か変わったという。一周忌を前に、こんなやりとりがあったと言う。
「おじさん、「えんざん」て何のことかわかる」
「吉田家とお前の母方の高村家のお墓のある新発田のお寺だろ。もうすぐ一周忌だな」
「そうですね」
 と言って話は終わったという。

十五

 佐田のところに、明子からつぎに電話があったのは、桜の花が散り、つつじが待たれる四月十日頃である。東京に出てくるので力になって欲しいと言っていたので、いざ、何を頼まれるのかと構えると、そういうことではなかった。
「小さいお店だけど、銀座に「くみ」というお店をひらいたの」
と優しい声が聞こえる。
「生きていたら純ママも喜んでくれると思うの。ママの供養に、円百合さんのこともあるので、昔のクラスの誰かを連れてきて」
「分かった。誰を連れていけばいいかな」
「ママはよく、須田さんという素敵な人がいたと言っていたわ」
「寺下と結婚した恵一のことかな」
 旧姓須田、寺下恵一は円百合、山中純は佐田と同じ高校の同じクラスであり、結婚相手の寺下雅子も同じである。寺下雅子の父親は、帝邦医科大学の理事長兼学長をしていたが、まず、理事長の座を一人娘の雅子に譲り、今度の学長選挙で娘婿の恵一にその座を譲ろうとしていた。しかし、雅子の祖父が創立した私立の大学でも、理事長などは世襲出来ても学長となるとそうはいかない。学長は教授会の互選によって選ばれることになっていて、今度の選挙では対立候補も立つということを聞いていた。きっと多忙を極めているだろうし、選挙の前に銀座で遊んでいるという噂も嫌うのではと思ったが、電話をするとすぐに快諾いっしょに行くことになった。

十六

 苫小牧発十九時三十分発のフェリーは予定通り、翌日十五時三十分に新潟に到着した。二人は捜査課長に許可を貰い、新発田の円山寺に寄ってから帰ることにした。フェリー行方不明事件で円百合の身代わりとなり、山中純の沖縄での事故死の時いっしょにいたこと、そして母が亡くなってから人が変わった様だという吉田正男の話に吉田明子のことが気になっていた。
「事件と直接関係ないかもしれないが」
 と都機川が言うと、
「そうですね、私も何かひっかかるものがありまして」
 横山もすぐに賛成した。
新発田市は新潟市のとなりにある十万石の城下町である。よく整備された五十公野公園陸上競技場と野球場のそばに円山寺はあった。七十過ぎの住職は、こちらの事情を話すと、
「知っていることはなんでも話しますが」
 と言ってくれた。
 吉田真美子の一周忌の時、法要が終ると明子が住職のところへ来て、つぎの様な話を交わしたという。
明子の母親は亡くなる前に、
「明子、ごめんね。私は本当のお母さんじゃないんだよ。でも、生まれた時から本当の娘と思って育てて来たからね」
 とやっとの息で言うと、そのまま昏睡状態となり三日後に亡くなったという。
「お尚さん、何か知りませんか」
「お母さんはお母さんですよ」
 と諭すと、
「では、十年前に交通事故で亡くなった父親は父親なの、もう大人だから知っていること教えて」
と執拗に言うので、迷いつつ話すことになった。
「あなたの本当のお母さんは、妹さんの久美子さんなんだよ」
 明子は一瞬虚を突かれた様子を見せたが、ある程度予期していたようでもあった。
「久美子さんは、十七、八の頃、父親の転勤先の横浜から一人、この新発田の親戚のところにあずけられたと聞いています。この新発田に来た時は、妊娠五ヶ月を過ぎていて、間もなく女の子を出産しました」
 明子は静かに聞いている。
「こちらへ来て直ぐに、久美子さんは手首を切って自殺しようとしたことがあるんです。幸い大事にはならなかったんですが。私は寺の住職という立場、そう今でいうカウンセーという役目で、久美子さんともいろいろ話しましたが、お腹の子の父親が誰なのかは話してくれませんでした。つまり、あなたの父親が誰なのかは私も知りません」
「で、お母さんは」
「あなたを産み、一度、看護婦から渡されたあなたを抱いた後、先に病室に戻って窓から飛び降りて亡くなったそうです」
「そうですか」
「話さなかった方が良かったですか」
「いえ」
 と小さい声でいう。
「久美子さんは、あなたを産む前に、この新発田の蕗谷虹児の歌をいつも口ずさんでいたそうです」
『きんらんどんすの帯しめながら、花嫁御寮はなぜ泣くのだろう』
 吉田明子は、ただただ涙を堪え、お礼を住職に言って帰って行ったという。そして、つい先日の三回忌で再び明子にあったが、この話はなにも出なかったという。
 都機川と横山はお礼を述べ、北陸自動車から関越をと帰路についた。
「事件との関係は出てきませんでしたが、明子の明るい性格が変わったのはここに原因があったのですね」
 と横山がハンドルを握りながら話し掛けると
「そうだな」
 と都機川は頷き、何か考え始めた。

十七

 都機川警部は、佐田真から話しを聞くことにした。先ず、フェリー行方不明事件の同じフェリーへの乗船のこと、沖縄・恩納村のホテルでの山中純の事故死のこと、そして苫小牧へ東元刑事を訪ねたこと等の事実確認をした後、佐田に尋ねた。
「吉田明子は今どこにいるか知っていますか」
「銀座で「くみ」というお店を開いていますが」
 と佐田が答えると、
「えっ。「くみ」ですか」
 都機川はちょっと驚いたような声をあげ、いっしょにきていた横山という刑事の顔をちらっと見て質問を続けた。
「円百合と山中純とは、高校の同級生と聞きましたが二人について何か知っていることがあったら教えてくれませんか」
「二人は高校の時は、いじめグループを作っていて、円百合がリーダ、山中純が子分でした。そうそう、もう一人寺下雅子というのも子分の一人でした」
「あなたはどうだったんですか」
「いや、私は品行方正、真面目一筋でした」
「すいませんが、寺下雅子の連絡先はわかりますか」
「ちょっと待って下さい。あと、雅子の夫で旧姓・須田恵一という男も同じクラスでした」
「じゃ、二人分教えて下さい」
 と手帳に名前、住所と電話番号を控えた。
「高村久美子という名前を聞いたことはありますか」
「ええ、短い期間だったと思いますが、転校してきて直ぐに転校していった女の子ではないですか」
 都機川は今度は驚きを隠して続けた。
「高村久美子についてもっと知っていることがあったら教えて下さい」
「それ以上は特に記憶に残っていませんが。寺下雅子に聞いたら女同士ですから何かわかるかも知れませんよ」
「いろいろと教えて頂きありがとうございます。で、最後になるのですが、昨年の九月十七日から十月上旬まで、何をされていましたか」
「アリバイというやつですね。北海道のツーリングから戻ったのは二十五日、その後は普通に会社に行っていたと思いますが。これで、アリバイになりますか」
「いえ結構です、ほんとうにありがとうございます」
と丁寧に礼を言い帰っていった。

十八

 捜査本部では、鶴居らの身辺調査や都幾川が苫小牧と新発田を回って得た情報から、容疑者を絞り込んでいった。今回は、いつもと反対にアリバイがある人間が犯人に近いと考えていた。円百合がフェリーから行方不明になることで、九月十七日以前は生きていたと、捜査本部は思い込まされた。
 まず、円百合が理事長をしていたNPO法人日本婦人教育協会の副理事長、野中祐子である。鶴居と武井刑事が、海外視察から戻ったという野中祐子に会いに行くと、話は一方的に円百合の誹謗に終始した。やっと九月十七日から十月初旬にどうしていたか聞くと、自分のデスクに行き、何やらパソコンを操作し、
「その時期だと海外にいっていますね。今回もそうだったんですが、年に二、三回は海外へ視察に出かけます。ちょうど、昨年の九月十五日から十月七日までオランダ、ドイツ,チェコを回っていますよ。これは、スケジュールを管理するサイボーズというシステムで職員全員が使っています」
 と自身ありげにアリバイを主張した。
 消費者金融の時代に恨みを持つ者はたくさんいて、なかなか絞り込むことができなかった。訳の分からないアリバイを言い張る者はいたが、はっきりと裏づけがとれるものはなかった。
 もう一人、寺下恵一がアリバイを主張した。都機川と横山は、田園調布にある寺下雅子の邸宅を訪ねた。寺下雅子の父親は、帝邦医科大学の理事長兼学長をしていたが、最近、理事長の座を雅子に譲っていて、間もなく実施される学長選挙では、娘婿の恵一を学長にと考えていた。ヨーロッパの調度品が置かれた応接で二人は雅子が出てくるのを待った。
「お待たせしました。どのような御用でしょうか」
「高校時代のクラスメートの円百合さんと山中純さんが亡くなったのはご存知ですか」
「はい、山中純さんのときはクラス会の幹事から連絡をもらいました。円百合さんの件はニュースで知りました」
 と落ち着いて答える。さらに、高校時代は仲が良かったが近頃は二人とも付き合いは特になかったと付け加えた。また、高村久美子についてはあまり記憶がない様子であった。昨年の九月十七日から十月初旬にどうしていたか聞くと、夫がアメリカで開催された世界外科学会に出席して不在だったので、お友達と旅行に行ったりしてのんびりと過していたと答えた。
 続いて二人は、帝邦医科大学の外科部長をしている寺下恵一を訪ねた。昨年の九月十七日から十月初旬のアリバイについては寺下雅子が言う様に、九月十七日から十月十二日までアメリカで行われた学会に出席していたと答えた。高校の時の円百合、山中純についてもあまり付き合いもなかったし、高村久美子の名前も覚えていないということで、会議があるからと、さっさと部屋を出て行ってしまった。

十九

 寺下雅子は、封筒に差し出人の名前のない手紙を受取った。

 寺下雅子様
 五月二十一日夜八時に清里の別荘においで下さい。
 久美子さんにいっしょに謝って欲しいの。
 誰にも言わずに一人で来て下さい。
               円百合、山中純より

 五月二十一日、雅子は夫にも言わずに一人で清里に向かった。
 同じ日、吉田明子から佐田の元に電話があった。
「お願いがあるの。清里にある寺下の別荘に直に来てくださらない」
「どういうことで」
「助けて欲しいの。なんという名前でしたか。この間来られた警部さんも一緒に」
「都機川警部ですか」
「ええ、お願いします」
 佐田は都機川警部に連絡、直に二人を乗せたパトカーは清里に向け疾走した。車の中で、
「寺田恵一の円百合殺害容疑の逮捕状はとってあります。ちょうど、逮捕のタイミングを探っていたところです」
 と教えてくれた。
 八ヶ岳の麓にある清里はペンションで有名だが、高級な別荘も多い。寺下の別荘も超一流である。掃除は管理会社によって毎日行われるし、宿泊の連絡をしておくと、冬ならば暖炉に火が入っている。食事は近くのグランドホテル八ヶ岳からシェフが高級食材を運び料理をつくり、ボーイが給仕をしてくれる。寺下と明子は、豪華なフランス料理を堪能した。
 暖炉の前で赤く燃える炎を見ながら、
「いいだろう」
 と言って、恵一は明子の肩を抱き寄せる。
「待って。一つだけ聞きたいの。高村久美子って知っている」
「なんでそんなことを」
 と言った時だった。扉が激しく開けられるとナイフを握りしめた寺下雅子が立っていた。
「けだもの。自分の娘に何するの」
 と叫ぶと、恵一に向かいナイフを突き立てたまま突進してきた。
「ギャー」
 という叫び声の後、雅子が暖炉の前で胸から大量の血を流して倒れ、夫の恵一は血のたれるナイフを握ったまま呆然として立っていた。明子は二人からちょっと離れたところに座り込み泣きじゃくっていた。
「間に合わなかったか」
 と都機川は言うと、寺下に逮捕状を示して、部下に手錠を掛けさせ連行する様に言った。その時、
「お父さん」
 と明子が言ったように聞こえた。

二十

 寺下恵一は、円百合の殺人と寺下雅子の傷害致死で、送検された。
 佐田は、事件の遠因を都機川から聞くことが出来た。
 高校の時、クラスには、円百合、山中純、寺下雅子らのいじめグループが巾を利かせていた。須田恵一は純と付き合っていたが、高村久美子が転校してくると、須田は久美子の透きとおる様な美しさに惹かれ、二人は付き合うようになった。何も無くても転校生は虐められやすいのに、純の嫉妬心が拍車をかけて、円らの久美子へのいじめは陰湿かつ激しくなっていった。この状況に、恵一はなにもせず、ただ自分の臆病さを悔いているだけで、学校にいられなくなった久美子は堪えられずに退学、新潟の方へ行ってしまった。この時は久美子が妊娠していることは知らず、後で女の子を出産、直に自殺したということを知ったという。
 須田恵一は、その後いじめグループ仲間の一人、寺下雅子と結婚した。医者を目指していた恵一は、帝邦医科大学の理事長兼学長の娘といっしょになった方が得という打算だけの結婚だったと自嘲している。雅子との冷たい生活から逃れるため、再び純と付き合うようになり、一人娘をもうけ、一人の孫娘がいて、最近まで続いていた。このことは、雅子もうすうすは知っていたようで、学長選挙が近づくと義父といっしょになって、恵一にいっそうのプレッシャーをかけてきたという。
 去年の五月二十一日、息抜きのため、純との間の娘と孫を連れて横浜コスモワールドに遊びに行ったところを円百合に見られてしまった。円百合は、最初、同じクラスだった佐田にメールと電話をしたようだが、話が噛み合わず人違いだったことに気付くと、須田恵一に連絡してきた。しかたなく会うと、遊園地のこと、純のことを奥さんに話してもいいかと脅してくる。要求を聞いても金は余っているからと何も要求してこない。何度会っても同じことの繰返し、爆弾を抱えたままでは学長選挙は戦えない。
 八月二十一日に円百合を清里の別荘に誘い、
「何が欲しいか教えてくれないか」
 というと、
「この臆病者、昔と変わらないのね」
 とののしられ、かっとなって、いや半分は計画的だったが、円百合の首を絞めて殺してしまった。死体は車に載せて、近くの甲武信岳の登山道脇に捨てた。
 アリバイ工作は、九月になっても死体が発見されず、ちょうど学会出席の海外出張があったので、円百合が九月十七日までは生きていたように山中純に偽装を依頼した。
 吉田明子とクラブ「くみ」で会っても、高村久美子の娘、つまり、自分の実の娘だとは気付かずにいて、その後別荘に誘ってしまった。暖炉の前で肩を抱いた時、雅子が入ってきてくれて、ほんとうに良かったと述懐していた。さらに、明子が「お父さん」と呼びたいと話していたと伝えると、ただ、涙をこらえていたという。

二十一

 六月、梅雨の合間をぬって、福島県の村めぐりツーリングに出かけた。佐田は、浜通り、中通りから会津へと東から西へ走りながら、北、南とジグザグに動くことで一筆書きのように回って、最終の目的地、檜枝岐村に到着したのは、三日目の夕方であった。新潟は隣り、もう仕事を気にする必要もないと、もう一泊して新潟・新発田の円山寺に行ってみることにした。
 円山寺の門前にバイクを停め、山門をくぐり境内にはいっていくと、住職といっしょに墓地のほうに歩いていく女性の後姿が目に入った。戻ってくるのを待って、
「あのー、明子さんでは」
「ここで、きっと会えると思っていました」
 と明るい笑顔と快活な声が返ってきた。やはり明子だった。
「寺下恵一さんが警察で話したことは、都機川さんがだいたい教えてくれました。たぶん、あなたが聞いていることと同じだと思います」
「はい」
「付け加えるとすれば、寺下雅子さんに手紙を出して別荘に呼び出したのは私です。恵一さんに雅子さんを騙しつづけないで別れて欲しかったからです。ここの住職に、母のいきさつを聞いてから、実の父に会いたいという気持ちで捜しました。そのなかで三人のことも分かりましたが、もう実の母を死に追いやった三人を恨んでいませんでした。あなたに父を店に連れて来てもらってから、父はたびたび店に来られて私を誘うようになりました。私はいつ言いだそうかと思っていましたが、なかなか機会がなくて」
「そうでしたか」
「今日、育ての父母と産みの母の墓参りをして報告しました。これから北海道のおじさんの牧場で働くつもりです」
「新しい出発ですね」
「銀座の夜の蝶が、今度は北の大地のラベンダー畑を飛びまわります」
「ええ」
「苫小牧の夜は素敵でしたよ」
 といたずらっぽく言うと、梅雨の晴れ間の日差しに白い日傘がくるくる回って遠ざかっていった。

おわり

四百字詰原稿用紙・82枚

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