赤い靴・本文
十返舎警部シリーズ 第五話
赤い靴
ニョッキ ゲタ
一
十返舎は十年前の出来事を思い出していた。
八月始めの暑い日であった。十返舎の妻、菜穂子は京都から来た旧友二人を案内し、元町から外人墓地、港の見える丘公園を回って、山下公園前のビルの最上階にある中華レストラン『西天楼』の窓側のテーブルについた。紺碧の海、深緑の山下公園が目の前に広がっていた。建物、道路など人造建造物は、太陽の熱を白く反射していた。
菜穂子が公園前の道路に目を移した時であった。
黒い背広姿の男が、大きな鍔の帽子をかぶった女から、小さい女の子を奪い取るように抱えると黒塗りの車に押し込み、車は走り去った。女は車を追うようなしぐさを見せたが、落ちていた何かを拾うと、幾十もの枝が生茂るブルック松がつくる日陰に消えていった。
十数秒の出来事であった。菜穂子は県警本部の十返舎に電話を入れると、直ぐに来るという。ビルの一階玄関に出ると、丁度、パトカー二台が到着したところで、その後に続いた赤色灯を回転させた車から十返舎と鶴居刑事が降りてきた。
「女児が連れ去られた場所は?」
夫の声にいつもの優しさはなかった。まるで自分を犯人扱いしているような言い方だった。
「ここです」
菜穂子も他人のような言い方をわざとした。
「車を急発進させたタイヤ痕が残っている。立ち入り禁止にして、鑑識さんに頼もう」
結構恰好いいなと思っていると、直ぐにつぎの質問がきた。
「車の種類は?」
「黒のベンツかと」
「ナンバーは?」
「すみません。読み取れませんでした」
「そうか。で、男は?」
「黒いスーツを着ていました。暴力団関係の人のようにも見えましたが、予見かもしれません」
十返舎は次から次へと質問を繰り出した。
「女の子は?」
「幼稚園児くらい、四才から六才くらいの女の子でした」
「女は」
「大きな鍔の帽子を被っていたのでよく分かりませんが、二、三十代の若い女性に見えました」
「服装は?」
「ジーンズに白いブラウス」
十返舎は、黒塗りベンツ、ナンバー不明での手配を指示すると、女が入って行ったという山下公園の中に向かった。菜穂子も従った。ブルック松がつくる木陰で、道路側とは打って変わって、時折涼しい風が吹きぬけていた。涼をもとめにきたお年寄りや若いカップルがベンチや芝生で港を眺めている。
十返舎は菜穂子がいう姿の女を捜したが見当たらなかった。数人の人に聞いてみたが分からなかった。菜穂子の呼ぶ声が聞こえた。
「これは女の子のものではないでしょうか」
『赤い靴の少女像』の前に、片方だけの赤い靴が置かれていた。
「連れ去られた女の子のものでしょうか」
いっしょに来た鶴居刑事が聞いた。
「多分……」
十返舎は曖昧に答えた。
約一月の間、女児を連れ去られたという情報を待った。山下公園付近に目撃者探しの立て看板を設置したが、有力情報は出てこなかった。唯一の手がかりであった現場のタイヤ跡から、車種がベンツと特定されたものの車を割り出すことはできなかた。
十返舎の元に、証拠品として片方だけの赤い靴が残った。
二
十返舎の机の上には、片方の赤い靴と赤い靴の映った一枚の写真が置いてあった。赤い靴は十年前の出来事が事件とならなかったために廃棄処分となったものを、十返舎が気になってロッカーの奥にしまっておいたものである。写真は、北海道倶知安警察署の清川刑事が十返舎に照会してきたものであった。
清川刑事は、小樽から苫小牧と周り、今は倶知安勤務となっていた。どこの警察勤務となっても、『まむしの清』と呼ばれ、体内にまむしの血清を持っていると言われる。犯罪を憎み、一端犯人の尻尾を掴むと絶対に離さないという。十返舎が警察学校で教官をしたときの教え子で、清川刑事は何かにつけて十返舎を頼りにしていた。
清川刑事は、事件とも事故ともいえない管内で起きた事案を次のように説明した。
倶知安警察署は北海道の倶知安町、ニセコ町、喜茂別町、京極町、蘭越町、真狩村、留寿都村を管轄している。一週間程前、その留寿都村役場から、隣りにある赤い靴公園の駐車場に一夜置いたままになっている乗用車があるとの連絡があり、駐在さんが出向いた。乗用車はドアはロックされておらず、エンジンキーは差し込まれたままであった。そして、駐在さんは、助手席のシートから床にかけて、血痕と思われる跡が転々としていたのを発見し、本署に連絡、清川刑事らが現場に駆けつけた。
放置された乗用車は、新千歳空港のレンタカー店で前日に貸し出されたもので、免許証の写しには、札幌市の十九才の山本里奈とあった。確認をとったところ、該当する住所に山本里奈は住んでいたが、レンタカーは当日借りていないという話である。遺留品は後部座席に片方だけの赤い靴が置いてあった。現場の赤い靴公園には、自分を外国人宣教師に預け、留寿都村に開拓に入った母を思う少女の像『母思像』があることから、何らかの意味があるかと思われたが謎であった。そして、鑑識の結果、助手席についた血痕は、少なくとも半年以上前のものであることが判明、レンタカー店の説明で、客が助手席でリンゴの皮を剥いていて過って指を切った時についたものと分かった。
ここまで聞いていた十返舎が口を挟んだ。
「それでどういう相談なのかな」
清川刑事が一方的にしゃべってしまったことにどぎまぎしている様子が声から伝わった。
「すみません。それで、この事案は、レンタカーの客が不正な免許証を使ってレンタカーを借りて放置した事件として扱うことになりました」
「何か不満なようだが、どこに噛み付いたんだ」
「後部座席に置かれた片方だけの赤い靴です」
「なるほど。それで」
十返舎は、清川刑事が赤い靴から自分を思い出したのだと直ぐに察した。
「まだ何もありませんが。警部が山下公園を案内してくれた時、赤い靴の少女像の前に、片方だけの赤い靴が置かれていたとお話になったのを覚えています」
「うん、そういうことか」
「はい」
「まだ、何処かにしまってあるはずだ。探し出したら写真を送るから、そちらの写真を送ってくれるか」
「わかりました」
片方の赤い靴と赤い靴の映った一枚の写真、鶴居刑事や島牧巡査に見てもらっても、同じだという。十返舎は、手元の赤い靴を倶知安警察署の清川刑事に送った。鑑定の結果、片方づつの靴は、同じ子が履いた一足の靴だと断定された。
清川刑事は鑑定結果の報告と合わせて、次のような話をした。
地元紙に、赤い靴が車に置かれていたことが書かれて、テレビでも取り上げられ話題になっているという。横浜で離れ離れになった母娘、娘が童謡になぞって、留寿都村に母を追ってきたのではないかというものだ。テレビのワイドショーでは、心当たりがある母の申し出を待っているという。
そういう話題はあっという間に過ぎ去ってしまう。十返舎も、清川刑事も、殺人、強盗という凶悪事件が専門である。日々発生する事件に追われて、どんどんと頭の隅に赤い靴は追い遣られていった。
三
まだ暑さが残る八月の終わり、十返舎は鶴居刑事、島牧巡査と数少なくなった屋上ビアガーデンで暑気払いをして、家に帰った。妻の菜穂子が珍しく、慌ただしく新聞を持ってきた。
「この記事なんだけど」
「慌ててどうした」
「ここ。麻布十番にある『きみちゃん像』の募金を、今年もユニセフに寄付したというニュースなんですが」
「一、 二年前に累計一千万円を越えたと聞いたことがある」
「この一年の間に、匿名の高額な寄付があって通常年の倍になったと書いてあります」
「それが」
「十年前の山下公園で見つかった赤い靴、留寿都村の赤い靴公園で見つかったもう一方の赤い靴、何か関係があるような気がして」
十返舎は、菜穂子がすっかり探偵気分になっているのを見抜いた。
「十年前の出来事を覚えているんだ」
「ええ、今でも山下公園に行くと思い出します。今日のように暑い日は特に」
「今度の休みの日に、麻布へ行ってみようか」
と言うと、菜穂子のはしゃいだ声が返ってきた。
「美味しいお店があるらしいの。調べておくわ」
十返舎は菜穂子のペースにはまってしまったのにようやく気づいた。
一日おいて、二人は麻布に出かけた。何度か来ているが、地下鉄の大江戸線が出来て便利になっている。麻布十番駅で降り、地下深くから何度もエスカレータに乗り、長い通路を通ってようやく外に出た。商店街発行の案内図は分かり易く、パティオ通りを『きみちゃん像』に向かって歩いた。両側はビルになっているものの、中には昭和の風情を残したお店もある。人も結構でていて活気のある街である。
『きみちゃん像』は坂を上った小さな空き地に建っていた。正面左には、小さい募金箱が置いてあった。菜穂子が小さい声で言った。
「かわいい。山下公園の像がすましているのに、愛くるしい」
十返舎もそう思ったが口には出さなかった。二人は百円づつ募金した後、商店街の振興組合の事務所を訪ねた。応対してくれたのは、組合の理事長、七十過ぎの白髪の紳士で、古くからの豆屋の大主人で、店を息子に譲って組合の仕事をしているという。
十返舎が訪問の趣旨を丁寧に説明すると、何でもお話しますという。
「匿名の高額な寄付があったと聞きますが」
十返舎は尋問にならないように言葉を選んだ。理事長は丁寧に答えた。
「はい。まだ、一週間前のことです」
「どういうことがありましたか?」
「組合に電話がありました。『きみちゃん像』の募金箱の横に少し高額の寄付を置いたので収納して欲しいと」
「それは男からですか?それと女」
「若い女の声でした」
「像のそばに寄付金は置いてあったのですね」
「はい、目と鼻の先ですので直ぐにいきました。茶封筒に五十万円入っていました」
「他には何かありましたか」
「一足の幼児用の赤い靴が置いてありました。靴の中には、そうこれが入っていました」
十返舎は手渡された短冊状の便箋を読んだ。そこには、
「ここで、十年振りに会うことができました。ありがとうございました」
と書いてあった。
事務所を後にした二人は、菜穂子が見つけてきた米大統領もきたという西麻布の焼き鳥屋に入った。
おわり
四百字詰原稿用紙・16枚
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